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2024.07.30

Dr.TANREX

Dr.TANREX誕生秘話(11~15話)開発者 山花和広手記

11)そして神戸

神戸では地元の靴メーカーが一同に集う大展示会が開かれているとの情報が飛び込む。後先を考えずに新幹線に飛び乗り、到着したのが展示会終了1時間前。残り時間が少ない上に会場が右と左の建物に分かれた大規模なもの。

一時間では2つを見て回ることは不可能だと判断し近い建物を選んで入場した。

中に入るなり、出展メーカーの多さに驚かされる。「一社ずつと交渉するには時間が少な過ぎる。何か良い方法はないか?」と立ち尽くしていたところへ綺麗な女性がワインを盆に乗せて歩いてきた。とりあえずワインを頂き話しかける。「会場のコンパニオンさんですか?」と。すると「いいえ、メーカーの者です」と答えられ、そのまま女性の所属するブースへ連れて行かれた。来展目的を説明したところ「それならドンピシャの社長さんが目の前にブースを出しています。紹介しましょう」という運びに至った。

入場してから5分も経過していないのに一発目から好スタート。ワインを運んできた女性が女神に思えてきた。

紹介された社長は黒をベースにズボン両サイドに赤いラインが入ったスーツ姿で「ザ・ヤ○ザ」も顔負けの雰囲気を漂わせていた。

「ヤ○ザでも何でもええ。話を聞いてくれるだけでも有り難い」と、本気でそう思った。

事情説明をすると「いいですよ。私も糖尿病患者さん向けの靴を作ってるさかい、一緒に考えましょ」と快諾いただいた。この時、入場してから僅か10分。奇跡的な出会いが生まれた。

後日、工場のある最寄駅まで車でその社長が迎えに来てくれたが予想は的中。神戸ナンバーで白いベンツ。車中から手を振る姿が今もトラウマとして残っている。

12)神戸靴職人

白いベンツで拉致されているわけではないが「何処へ連れて行かれるのだろ?」と、つい不安が過ぎったのは言うまでもない。

工場の事務所に通され、その社長も向かい側の椅子に腰掛けた。

前掛けをしたその姿は「ザ・職人」で、ベンツの○○○は何だったのか?イメージの違いに驚かされる。

話もストレートで、飾り気が無い。職人気質を強く感じた。本来であれば数社との交渉を経て取り組み先を決めるべきだろうが、この社長には特別な縁を感じる。即決で取り組んでいただけるようお願いをする。

これをきっかけにドクタータンレックスの指定工場が誕生し、共に一蓮托生の道を歩み始める。

13)革質試作

効果や機能の在り方を何度も話し合い、原型となる姿が見えてきた。

第一号サンプルが出来上がったのは約3ヶ月後。外観はリーガルのイメージでカラーはブラウン。

雲を掴むような妄想空想の世界から現実世界に舞い降りてきた試作品。感動というよも不思議な感覚になったことを今も覚えている。

神戸の展示会場でワインに釣られてヨレヨレと付いて行ったピンチ男。それが今、チャンスに切り替わったのだから人生捨てたもんじゃない。

「人間万事塞翁が馬」落馬の怪我で命拾いをしたように、この先も山あり谷ありを覚悟しなければならない。

朝から晩まで試作品を毎日履き続けられることが何よりも嬉しく、履き心地と体の変化についての記録を日々書き綴った。

体への変化として腓腹筋(ふくらはぎ)の内側に別の盛り上がりを確認する。

「これはいける!」

僅か1ヶ月での手応えに俄然自信がついた。

学生時代から腓腹筋の内側が弱く、何を試しても改善しなかったのに、約1ヶ月でその成果が確認できたことは、このプロジェクトの方向性に間違いがないことの証でもある。

14)開発資金

試作品を毎日履いて「ふくらはぎ筋肉」の盛り上がりが実際にあったとしても、それを証明するにはエビデンスが必要となる。個人的な感想と販売するための根拠は似て非なるもので、全てはコストが前提となる。

先ずは大学との共同研究から第一歩が始まる。試作品が「ふくらはぎ」へ与える影響を数値化しなければならず、そのためには試作品の完成度を高め、何十足ものサンブルを作らなければならない。勿論多額の開発資金が準備されてのことだ。

(し)(き)(ん)● ● ● ● 

(ど)(う)(す)(る)(?)(?)?

発想力と根性論も、もはやこれ迄か⤵、、、、。

僅かばかりの蓄えを切り崩しても焼け石に水であることは言うまでもなく、捻り出した答えがは「借りる」ではなく「頂く」だった。

借金は危険過ぎる、自己資金は少な過ぎる、、、ならば国からの開発補助金をGETするしかない。

当然返す必要のないお金を頂こうとするのだからハードルは高い。しかし、突破口はこれしかなく一番苦手な「プレゼン」とやらの理論武装に挑戦するに至った。

15)穴だらけのプレゼン

狭き門の開発補助金は、書類審査で落とされるの可能性が高い。妄想的にならず現実と照らし合わせながら慎重に。薄い氷の上を大胆かつ繊細に駆け抜けるイメージが求められた。

締め切り日ギリギリで提出完了。やるだけの事はやった!満足感はあったが合格する自信はまるで無い。

そして一ヶ月後、書類審査が通過した事を知らされる。有識者の前でプレゼンするチャンスをいただいた。

「ここまでの経緯は出来すぎ、いつ奈落の底へ突き落とされても不思議なことではない」と、気持ちを引き締める。

でも、ここまで来た!」複雑な思いで次の展開までをワクワクドキドキしている自分がいる。この状態を楽しめているということは開発補助金を(も)(ら)(え)(る)(!)かも。都合の良い悪い癖が頭をよぎる。

プレゼンのスケジュールが割り当てられた。10社が最終選考に残り最後尾の発表となる。5社くらいが終わった頃、あることに気が付く。それはプレゼンテーターが全て技術者で専門的な用語が飛び交うエンジニアの世界だった。「マズイ(汗)準備したプレゼン資料は営業的なプレゼンで製造技術に関する専門性に乏しい。。。(焦る)⤵」楽観癖が脇を甘くさせていた。

あれこれ考えている間に順番が回り「山花さんマイクの所までどうぞ〜!」と司会者の声。(や)(っ)(ち)(ま)(っ)(た)(か)(はてな)...〜

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